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長崎旅行記 ~母の思い出の場所へ~

大きな台風18号が通り過ぎたあとの先週の木曜日、私は母と二人で羽田空港に向かっていました。母にとっては初めての飛行機。私だって飛行機は8年ぶり?ぐらいです。飛行機は着陸の時、気圧で顔が痛くなるので苦手なのですが、行きは窓際の席を取れたので窓の外を覗き写真を沢山撮りました。
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綺麗な雲や、山々を見ていると、本当に美しくて飛行機に乗ることも悪くないな~と思うのですが、着陸の時にはやっぱり顔が痛くて大変でした。

長崎には高校の修学旅行でも訪れた事があるのですが、今回の旅のきっかけは、去年の春に観たオペラ「沈黙」でした。隠れキリシタンが題材の遠藤周作さんの小説が原作ですが、それを観て、私の先祖が長崎にもいた事を思い出しました。母から聞いていた話では、私の先祖は長崎でキリシタンの迫害をしていたお侍さんで、余りに残酷な迫害に嫌気がさして、家族で長崎から平戸の紐差と生月島というところに逃れて来たそうです。お侍さんがそんな風に逃げて大丈夫だったのか?分かりませんが、母はそういう風に子どもの頃聞いていたそうです。そして、先祖は自分もキリシタンになってしまった訳なのですが、平戸に来てからの子孫たちはみかんの栽培等もしていたそうです。私のひいおじいさんの頃にはみかんの栽培で人並みな暮らしていたようなのですが、人の借金の保証人になり、みかんの山を手放すことになり、貧乏になってしまいました。私のおじいさんは三男で、子どもの頃の怪我で足が悪かったのですが、頭は良かったので、平戸の紐差教会の神父様に推薦されて、北海道のトラピスト修道院にも2年くらい行っていたそうです。でも、おじいさんには何か迷いがあったらしく、そこを飛び出してしまい、東京で暮らし始めます。そして、山形出身のおばあさんと結婚して6人の子を持つ事になるのです。もしも、おじいさんが神父様になっていたら、私も居なかったんだな。と、思います。

そんな訳で今回は普通の旅ではなくて、私と母のルーツにまつわる旅でもありました。だから、観光はあまりありません。私としては本当は先祖が迫害してしまったキリシタンの霊に謝りたい気持ちで行きたいと思っていたのです。でも、一緒に行く母にとっては幼い頃過ごした川棚を訪ねる旅です。東京で母が生まれた後、一家は佐世保に引っ越します。そしてその後川棚の町へ。母は中学卒業までここで育ちます。川棚には海軍の工場があり、兵隊さんの官舎があったのですが、母たちはその官舎が町営住宅となった所に佐世保から移り住みます。とても、貧しい暮らしだったようですが、それも、戦後なのでみんなそんな暮らしだったのかもしれませんね。

長崎空港に着くと、レンタカーを借り、早速川棚へ向かいました。途中、彼杵の荘という道の駅によりました。4個150円の栗の渋皮煮がとても美味しかった!
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川棚には一時間ほどで着きました。母は記憶を辿るように町を眺めるのですが、全く思い出せないようでした。
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つづく
by usakichi71 | 2016-10-10 15:38 | おでかけ | Comments(0)
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